無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)

この言葉は禅の悟りを表していると言われる禅語です。

大詩人を言われる蘇東坡が残した禅語で、意味としては、無の中に有るということを、虚の中に実を観るということを表しており、これだけではよく理解できませんが、この言葉に続きがあります。

無一物中無尽蔵。花あり、月あり、楼台あり。

絵筆を持って真っ白なキャンパスに向かったとき、自分の想像力を働かせて、自分の想像をそのまま投影すれば、その真っ白なキャンパスに花も月も楼台も何でも描くことができるというものです。

例えば、そのキャンパスに絵筆を用いて山を描いてしまえばそのキャンパスは山の絵にしかなりませんが、何もない真っ白なキャンパスであればどんな絵にもなれるということです。人が持っている執着や、欲望などを捨ててしまえばその中には様々な豊かさを見出すことができます。

「本来無一物」という言葉もあるように、人は本来は何も持ってはおらず、何もない状態で生まれ、そこから成長するにつれ、多くのものを手にしていきます。大人になれば、お金や物、会社での立場や権力など様々なものを手にしてはそれに執着し、失うことに恐怖します。

それを失わないようにと色々な努力をすればするほど、それに対しての執着が強くなってしまうのです。

その状態がまさに描かれたキャンパスを表しており、何かを手にし、それに執着してしまえば、それ以外は見えなくなってしまい、限りないあなたの可能性が埋もれてしまいます。

そして、多くの物を手にいれてしまえば、その手にしたものを失いたくないという不安な感情が生まれてしまいます。その執着や欲を捨ててしまえば、そのような不安な感情が現れることもなく、それ以外のあらゆる可能性について考えることができるはずなのです。

何かを得るということは、生活をしていれば当たり前にようにやってきますが、それに執着さえしなければいいのです。

その執着がなくなれば不安という余計な心配事を気にすることもなくなるので、心に余裕を持つことができ、様々なことに挑戦することもできるでしょう。

手に入れたものに執着をしてはいけない、何もないことが、本来の姿なんだと言われても、なかなかそれをすぐに受け入れることは難しいことだと思います。

禅の悟りを表したような言葉です。そう簡単に実践はできないでしょう。

どんなに良い言葉もいい教えも、必死になってその通りにしようとする必要はないと思います。それが苦痛に感じたり、できないことに不安になっていては本末転倒です。

しかし、その言葉、その教えを知っているかいないかでは大きく違いがでてくるはずです。

現代は様々な悩みや不安を抱きやすい環境であり、それはもう仕方のないことですが、そんな時に禅の言葉を思いだしてみて下さい。

その時が一番心に響き、多くを感じることができるでしょう。少しでも不安な気持ちを和らげることができればそれでいいのです。

その言葉知り、その教えのように考えてみることができれば、今よりももっと穏やかな気持ちで毎日を過ごすことができるでしょう。