今日は良い日だった。今日は悪い日だった。私たちは毎日に「良い」「悪い」という価値をつけてしまいます。

仏教ではこの考え方を良いものとはしません。禅語の中に日々の過ごし方を教えてくれる言葉があります。

日日是好日(にちにちこれこうにち)

禅語の中でも有名な言葉ですので聞いたことのある人も多い言葉ではないでしょうか?

しかし、日日是好日と言う言葉を「1日1日毎日が良い日である」という風にとらえている人が多いようですがこれはこの禅語の本来の意味ではありません。

そもそも禅では、「良い・悪いという考えや判断をとりはらえ」という教えのため、1日の終わりに良い日であったという考えは残らないのです。

良い日があるからそうでない日は悪い日だと思ってしまい、良い日があるから、良い日に執着してしまい、平凡な日常までもを憂鬱に感じてしまうのです。

「今日も一日良い日になりますように」と願ったとしても、現実はそう上手くはいきません。晴れでありますようにと願っても雨の日があるように、良い日を願っても、色々な問題が起きてしまい、悩ましい1日になるかもしれません。

願えば願うほど、叶わなかったときの、絶望は大きく、悪い1日としてしまいます。

願ってばかりではいけません。1日1日一生懸命にあなたが積極的に過ごすのです。

毎日の出来事は願って得られるものではなく、あなたの行動そのものが現実になっているのです。

多くの人が、仕事の日と休日とを分けてしましいますが、どちらもかけがえのない1日に変わりありません。

仕事の日だからと1日を諦めてはいないでしょうか?あなたが、行動を起こせばその1日も平凡ではなくなるはずです。

日日是好日の「好」という字は決して好悪の「好」とは限りません。

「今日はミスをしてしまった。好(よし)!このミスを取り戻そう!大切な人を悲しませてしまった、好(よし)!どう喜ばせようか!」

といった、積極的で前向きな決意である「好」なのです。

日日是好日。毎日を良い日、悪い日と区別せずに1日1日、ありのままを生きていく。

なにか問題あったとしてもいいのです。大きな失敗をしたとしても、その経験を次に生かせばいい。何かを失ったのであれば、その失ったものの大切さに気づくことができるかもしれません。

そう考えてみれば、1日1日に良い日も悪い日もなくなります。

自らが主体的に毎日を作り、1日1日を充実した好き日にして生きていくこと。

そうすれば毎日をかけがえのない1日として過ごすことができるでしょう。