家族のため、友人のため、会社のため、色々あると思いますが、あなたは誰かのために生きていますか?

禅の言葉の中このようなものがあります。

百花為誰開(ひゃっかたがためにひらく)

そのままの意味としては、花々はいったい誰のために生きているのか?という意味になるが、この言葉の中には多くの意味が込められているいます。

花は時期がくれば、美しい花を咲かせ私たちを魅了する。そんな花々は誰のために生きているのでしょうか?

誰のためにも生きてはいません。花が咲くというのは自然の摂理で咲いており、誰かのために生きようといったはからいは微塵もありません。

自分の生命をめいいっぱい生きてやろうと、ただただ無心に花を咲かせその生涯を終えていくのです。

誰かのために生きようとしなくても、時には私たちの心を慰め、癒し、感動させてくれるのです。

花々は私たちに生き方を教えてくれます。誰のために生きるのではなく、自分の人生をめいいっぱい生きていく。

誰かのために生きなくともその生き方はきっと誰かの役に立つ。そのような生き方だからこそ、人々を魅了し、感動させられるのです。

家族のために働く、会社のために努力する、友人のために協力する、どれも良いことですが、そこに見返りを求めていてはいけません。

こんなに働いているのに何もしてくれない、こんなに努力しているのにわかってくれない、こんなことをしてあげたのに友人は何もしてくれない。

見返りを求めた行動は本当の善意ではありません、あなたが心からそうしたいと思って行動しているからこそ、誰かのためになっているのです。

自分のために生きてみましょう。自分がどうしたいのか、自分はどう生きていきたいのか。その中にはきっと家族を幸せにしたいとか、友人を喜ばせてあげたいといった気持ちもあるでしょう。

しかしそれは、家族のためでも友人のためでもありません。あなたがそうしたいと思ってやっていることなのであれば、それはあなたのためなのです。それが結果的に家族や友人のためにつながったというただそれだけのことなのです。

花も同じです。誰のために生きているわけではなくとも、人を喜ばせたり、感動させたり。

そういった生き方だからこそ、その一生懸命にいきいきと生きている姿だからこそ、人は魅了されるのです。

どう生きれば自分は後悔しないだろうか。どうすれば自分を喜ばせてあげられるだろうか。自分の人生を生きましょう。

一度きりのこの人生。何のために生きているのかなど考えるのはやめましょう。

この世に生を授かったのです。その生をめいいっぱい輝かせましょう。

私たちがおじいさん、おばあさんになった頃、ゆっくりと考えればいいのです。

何のために生きていたのかではなく、自分の人生をどう生きていたのかを。