禅は努力することを肯定します。何もしないのではなく、努力することで変わるものはいくらでもあります。

目標になかなかたどり着けない時は、不安になるものですが、そんな努力を肯定してくれている禅語を集めました。

菊水月在手弄花香満衣(みずをきくすればつきてにありはなをろうすればこうえにみつ)

月を手に入れることはできないが、水を手にすくえば、そこに月を写すことはできる。花と戯れていれば、花の香りが自然と服に移ってゆく。

やりたいことができるかどうか、なりたいものになれるかどうか、望んでいた夢が叶うかどうか、

どれも達成することができるかどうかはわからないが、努力をすればその目標に近づくことはできる。

近づくためにはどうすればよいか、試行錯誤しながら努力しましょう。

その目標を眺めているだけではいけません。自ら手を伸ばしてみることが大切なのです。

滅却心頭火自涼(しんとうをめっきゃくすればひもおのずからすずし)

火は熱いものであるといった分別の心をなくし、無心で向き合えば、火の熱さも受け入れることができ、火すら涼しく感じるものであるという言葉ですが、無心になれば火の中に入っても平気な体になるという意味ではなく、苦しいことにも無心になって取り組んでいれば、そのものの感じかたも大きく変わってくるという意味です。

この目標は難しいものだ。そう簡単に達成できるものではない。ほんの一握りの人だけが成功できる世界だ。

これはそういうものなんだと決めつけたり、思いこんだりするのはやめ、何も考えずに取り組んでみれば、思っていたものとは全くちがっていたり、そのものの見方が変わってきたり、皆が思っていたよりも簡単なものであるかもしれません。

それを知ってしまえば、あなたはどんなに難題と言われるものがこようとも、他の人とは違った考え方で取り組むことができ、周りが驚くような結果を残すことができるでしょう。

一行三昧(いちぎょうざんまい)

禅でいう三昧とは精神を集中して物事にあたることをいい、一行三昧とは一つのことに、精神集中して取り組むことを言います。

仕事の時は仕事三昧。勉強の時は勉強三昧。食事の時は食事三昧。遊びの時は遊び三昧。一つのことだけに集中して取り組めた時、満足のいく結果が得られるのです。

音楽を聴きながらの仕事や勉強、TVを見ながらの食事、二つのことを一緒に行ってしまうと全てが中途半端になってしまい、満足のいく結果を得られることができないものなのです。

この一行三昧という言葉を良くあらわした面白い話があります。

漢の国に李将軍という人がおり、彼は弓術に優れており、その技術は天下無敵で、横に並ぶものはいないと称される程でした。そんな李将軍が猟にでた際、遠く虎がうずくまっていたのを見つけ、急いで弓をかまえ射たところ、見事虎に命中し矢が突き刺さりました。ですが、その命中した虎を良く見ると、虎によく似た大きな岩だったのです。李将軍は岩に矢が刺さった例は今まで一度も聞いたことがないと得意げになり、何度も何度も岩めがけて矢を放ちましたが、岩に刺さることはありませんでした。

最初に刺さった矢の時は、虎を射抜くことしか考えなかったため、一行三昧になれたのです。しかし、その後放った矢には、「自分の放った矢は岩をも貫くのだ」という雑念で弓を放っていたため一行三昧になれず、矢はささりませんでした。

この話からわかるように、一つの物事に精神を集中して取り組むことで、最高のパフォーマンスを発揮することができるのです。

簡単なようで難しくもある一行三昧。ぜひ心がけてみて下さい。

努力は必ず報われる

努力をしていれば、何らかの形で必ず報われる日が訪れます。

たとえ目標を達成できなかったとしても、その経験はいつか必ず役に立ちます。

禅語の教えのように、一つのことに精神を集中させ、無心になって取り組んで行けば、難しいと思われる目標にも必ず近づけるのです。

成功できるだろうかと不安になる必要はありません。ひたすら努力してみてください。

あなたにとって最高の結果をもたらしてくれるでしょう。