裂古破今(いにしえをさきいまをやぶる)

古いもの、いわゆる伝統というものには、何らかの決まり事や型式があります。

「昔からの伝統」よく聞く言葉ですが、それは、昔から「そうやってきた」というだけでしかありません。

それに対し「そうなんだ」と何の疑問も持たずに従っていては、それが因習になってしまう可能性があります。

そうなってしまわないように、時にはそれを見つめ直し、昔から続いてきた伝統をも変えていく事が必要です。

この禅語は、伝統を全て変えていけと言っているわけではありません。

古くからあるから良いもの。新しいから良いもの。こういった、古い・新しいにとらわれることなく、本当に良いものを見ることのできる目を養っていくことが大切という意味です。

古くからあるから良いわけではなく、新しく生み出されたから良いわけでもありません。

良いものには、良いと言われるだけの何らかの理由があるのです。その物の何が良いのか、その物本来の価値を判断できるようにしていくことが大切なのです。

これは伝統だけに限りません。現代では当たり前と言われる常識。これも、そのまま従ってしまうのは良いとは言えません。

私たちは、幼少の頃から常識とは当たり前のこと、普通の人なら誰でも知っていることであり、できて当然のこと。このように教えられ育ってきました。

またその「常識」と呼ばれるものを知らなかった場合、「常識知らず」「常識がなっていない」「非常識だ」とさげすまされてしまいます。

確かに常識とは、誰でも知っていることであり、できて当然が当たり前のことであることがほとんどです。

しかし、この常識の中にも疑うべきものは多くあります。そもそも常識とは社会によって異なることがほとんどです。

今まで当たり前であったことが、当たり前ではない場所など山ほどあります。

分かりやすい例としては、会社勤めの人と、個人でビジネスをおこなっている人、いわゆる個人事業主。この両者では全くといっていいほど常識が違います。

会社勤めの人は、自分が起こした行動から得られる利益は全て会社の利益になり、そこから決まった額を、給料という形でもらうことができます。これは社会人にとっては当たりまえのことです。

しかし、個人事業主は自らが起こした行動により得られた利益は全て自分の利益に繋がります。

基本的な大きな仕組み自体に違いがあり、これ以外にも多くの違いがあります。この両者では常識というものが違いすぎるのです。

このように、環境によって常識というものが異なるのであれば、その常識は疑った方がいい。

その人がいう常識は、その人がいる環境での常識でしかなく、あなたの常識ではないかもしれません。

常識という言葉にとらわれず、その内容、その中身だけをみて、それを判断できるようにれば、何ものにもとらわれることなく、振り回されることなく、いつも自分が正しいと判断した行動だけをとれるようになるでしょう。

「裂古破今」古を裂き、今を破る。

古だけでなく、常識や言葉、様々なとらわれから、一旦切り離す。そうしてその物だけを見つめ、感じて、判断する。

その心がけが、あなたの心、人生を豊かにしてくれることでしょう。