臨済が説いた言葉の中に「殺仏殺祖(さつぶつせっそ)」という言葉がある。

仏に逢うては仏を殺し、

祖に逢うては祖を殺し、

羅漢に逢うては羅漢を殺し、

父母に逢うては父母を殺し、

親眷に逢うては親眷を殺して、始めて解脱を得、物と拘わらず、透脱自在なり。

仏に逢ったら仏を殺し、祖に逢ったら祖を殺し、羅漢(聖者)に逢ったら羅漢を殺し、父母に逢ったら父母を殺し、親族に逢ったら親族を殺して、そうすることで始めて何に縛られることなく、自由になり、自分の思うままに生きることができる。

言葉だけを読み取ると、かなり過激な内容でありますが、これは人を殺せと言っているわけではありません。

殺せといっている対象は、仏や先祖、聖者や父母といった、だれもが信頼を抱いてきた人ばかりです。

つい頼りたくなるような人に出会ったときにも、その出会った人に対する行き過ぎた尊敬や頼る心を捨てて、自分自身で考え解決しろということです。

仏教の始祖である、お釈迦様、ブッタもまた遺言として、「葬儀においては遺骨などのことにかかずらうな。」と残しているにも関わらず、ブッタの遺骨は分骨され、盛大な葬儀があげられています。

ブッタもまた仏教を作った人として、偉大な人物であるがゆえに、皆から頼られる存在であるが、臨済の殺仏殺祖と同じく、ブッタもそれを良しとしないため、遺骨崇拝などもっての外としていたのです。

にも関わらず、ブッタ信仰が生まれてしまい、執着を捨てることを目的とした仏教の世界、お釈迦様の教えであり、お釈迦様が最も忌避していたであろう「執着」へと繋がってしまったのです。

頼りたくなる気持ちはわからないこともないですが、自分が尊敬を抱く人物にすがっていては、自分の成長には繋がりません。

自分で考え、経験してこそ、得られるものがあり、頼る心を捨てきれなければ、いつまでたっても、人を頼らなければ生きていけなくなります。

お釈迦様の教えの中にも、多くでてきますが、自分自身が宝物であり、それを大切にして生きていく必要があります。

お釈迦様が残した、天上天下唯我独尊という言葉の通り、人は誰しもが生まれたときから尊いものであるということを知っておくことで、自分自身を大切にした生き方ができるしょう。

「殺仏殺祖」過激な言葉ではありますが、そのような言葉を用いるほどに、大切な教えであるということです。

多くの人が、他者に頼りきりになってしまっている現代にこそ、この教えを学ぶ必要があります。

人だけではなく、会社にも同じことが言え、しっかりと自分の意見を持ち、行動をしていくことが、誰のためでもなく、自分の為になる人生を送ることができる秘訣になるでしょう。

殺仏殺祖。肝に銘じておきたい言葉です。