一心不生(いっしんふしょう)

ある人にとっては問題であっても、またある人にとっては何の問題にもならない。ほとんどの問題とはそういうものである。この世で起こる出来事は、全て仏から与えられた物であり、それを自分にとってよきものとして考える。

これが一心不生という禅語の意味です。

生活をしていれば多くの問題が出てくるでしょうが、その問題のほとんどがすぐに解決できるものばかりです。

しかし、ほとんどの人は面倒なことを嫌い、その問題を後回しにしてしまいます。

そして、問題にもならないような、小さな出来事を、次から次へと後回しにしてしまった結果、その小さな出来事が積み重なり、やがて大きな問題となってしまう。

大問題とはそうやって出来上がるものであり、1つの問題が初めから大きいわけではありません。

しかし、大問題という言葉は存在し、実際に至るところで起きています。

それだけ、人が面倒事を嫌っているということがよく分かります。

あなたが問題としていることは本当に問題ですか?

何か小さな出来事が起きた場合、すぐに問題としてしまうのではなく、小さな出来事としてとらえましょう。

そしてその出来事がどういったものなのかを良く考えてみて下さい。ほとんどがすぐに解決できることだと思います。

結果的には、大きな問題にならず自分にとっていい事に繋がるのです。

時間の使い方にも同じことが言えます。

すぐ終わるような仕事をためこんでしまう人が多く、そういう人に限って、あれもしなければ、これもしなければと慌てては忙しい振りをする。

忙しくしたのは自分のせいであり、またその忙しさを感じるのも自分だけ。他の人からすれば、決して忙しくはないのです。。

忙しくない時間に自分がするべきことをしていないだけ。やるべきことをやっていれば、忙しく感じることもなく、仕事は終わり、余った時間を他の有意義な時間に変えることができたのです。

これもまた、小さな出来事を、すぐに解決しておけば、結果的には自分の時間を作るという自分にとって価値のある良いものに変わっていたのです。

「一心不生」の教え通り、まずは小さな出来事を問題としない。そしてその出来事を自分にとって良いものとして考える。

そうすることで、普通なら嫌なことにも思える小さな出来事も、結果的には何らかのの形で自分にとって良いこととして返ってくる。

それができれば、あなたの生活から、ほとんどの問題というものは消えてなくなり、問題があるという自分の中の悩みや不安も取り除かれ、清々しい毎日を送ることができるしょう。